ちょろちょろ見て歩き 5
タイミングを信頼する / 『おもひでぽろぽろ』を見て / ひたむきさ / やけくそ / 野獣
「タイミングを信頼する」2003/01/27記 抽象的な言い方になるかもしれないけれど 全ての出来事や物事は絶妙なタイミングで起こる。起こりうるべくして起こる。 長い間かかえてきた、自分にとっての問題もそれを手放せる時がくると手放 せる。確執があった関係も 何年もの年月を経て ふっとある時にそれがな くなる、という事を体験した。 忘れた頃に やってくる ということもあるなぁ、と思った。 ★ まだ時代が昭和だった頃、私は祖父と暮らしていた時、私には祖父が理解 できなかった。理解できないがゆえに祖父が年寄りだからわかんなくて当然 と思ってあきらめていた。 一緒にすごした時期は色々なことがあり、頭にきたぁ、て怒った事もあるし、 しゃあないなぁ、相手は年寄りだから、と自分に言い聞かせたりした。 でもある事がきっかけでスリーインワンのセッションを受け、若い頃の祖父 と話す、という機会があった。 その時 祖父の悲しみややりきれなさ、自分に対して情けなく思っている事 などが伝わってきた。 ★ 本当に祖父が生きていて、一緒に顔を合わせていた時私は 彼の話を聞い たことがあっただろうか? 忙しさにかまけて、話を聞くような余裕がなかったし、私自身の心の姿勢が 人の話を聞く事をしない という生き方をしていたかもしれない。 ★ 「そうか、おじいちゃんはこんな気持ちで生きてきたんだ。。。。」 ★ 祖父がなくなってから10年以上の年月を経て やっと祖父と向き合えたよう な気がする。 そして、それも 「世の中の男性という男性の全てを拒絶する」気持ちを手 放すと決めてから、の事だった。 全ては色々な事が 水面下でつながっている事を 実感する。 すべてのことが色々な出来事や の時その時につかむ直感すらも絶妙な タイミングで。 |
『おもひでぽろぽろ』を見て2003/02/24記 昨日スタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』を見た。 これだけは1回も見てないし、他の作品とは異色(女性映画ともいうジャ ンルかな)だったから見なかったのかもしれない。アニメで女性もの、と いうのは余り見る気がしなかったのだ。 * 旅をするタエ子。小学生5年だった時の思い出がよみがえり、大人の タエ子と子供のタエ子の 二つの時間軸で物語が進行していく。 私が子供だった時に見ていた情景、きょうだい喧嘩 したなぁ、とか よくこんな風に意地っぱりですねていたなぁ・・・などさまざまなことを 私も一緒になって思い出しながら見ていた。 * はっとするせりふがあった。 旅先、田舎で 有機農業をいとなんでいる男性が タエ子に話してい る場面で 言った。 ◇ 「都会の人はこの山や田んぼを見て あぁ自然だ自然だ、と言うけれども 田舎のこの景色は皆人間が作ったものなんですよ。 この山も田も川も。 山の木にしても何年前にどこの誰が植えた、 とか皆歴史があるんですよ。 あの小川もあぜ道も 自然と一緒に 暮らしていくために 人間が作ったものなんですよ。」 ◇ あっ\(◎o◎)/! 自然と共生していく、というのは どういう事なのか? 美しいファンタジーのようなイメージしか持っていなかった。 ☆ 子供の時のタエ子の物語は年の離れたお姉さん達と自分が ずいぶん違うというひけ目から よくすねて、素直になれず、 わがままで家族を困らせた。という部分と もうひとつは学校で 男の子たちの間で スカートめくりが流行していて、何かにつけ て 女の子だ、男の子だ、という事でぎくしゃくしていた事。 (これはどう表現すればいいのだろう?もっと適切な言葉があるかもしれない) ☆ 過去の小さかった時の私が 大人になっても胸の中に住んでいる。 映画の中の小さいタエ子と同じ年齢の私も一緒になって映画を見た。 タエ子には、じゃけんな男の子の言動が理解できなかったがその男 の子の気持ちは男の人にはわかるのだな。 素直になれない、子供の せいいっぱいの表現。 相手のいやがるような事をわざとやってしまう、など 男の子だけではない。 タエ子だって 本当は欲しいのに「いらない!」ってつっぱねてしまったり お父さんやおかあさんを困らせてしまったりする。 そういう事を私もやってきたな、と思う。 ☆ 最後にタエ子が自分の故郷でもないのに なぜこんなにもその田舎が懐かし く思うのか、そしてなぜ、こんなにも ひとりの男性の前で、素直に子供の頃 の話をしたり あまえたりしたのか * 自分にとって大切な心の故郷はその田舎であり、彼のそばなのだ、と知り しあわせを掴んでいく。最後の思い切りのよさは 見ていてスカッとした。 |
『ひたむきさ』2003/04/02記 * 「コート・ドール」というレストランのオーナーシェフ・斉須政雄さんが 『調理場という戦場』という本を書いておられる。単身フランスに 渡ってフランス料理の修行をし、そして、日本に帰国して、フランス 料理店のシェフとなり、独立された。 ★ 読んで思うのは 斉須さんの、不器用がゆえにひたむきにうちこ む姿がいい、と思う。何をどれだけ考えて、どれだけ行動したか、 というのが結果につながる。 ★ 料理は 食べた人が料理人の味がわかるかどうか、ではなくて、 食べにこられた方が満足されるかどうか、なんだなぁ。 当たり前のことと言えばそうなんですけどね、 「料理の鉄人」とかの番組を見ていると、いかに「素材にこだわっ た」か いかに「細部にこだわった」か、だの「こだわり」ばかりが 目につく。そんな こだわりなんて くそくらえ なんだな。 ★ それと 料理というのは 絵と同じだな、と思う。 料理は、作る側だけで完成されるのではない。食べる人がいて完成される。 絵は、描かれた絵だけではなく、見る人の目や心でもって完成される。 作り手と受け取り手がいて 成り立つんだな。 |
「やけくそ」2003/04/02記 世の中には「やけくそ」ということばがある。 漢字で書けば「焼け糞」である。 ★ 先日NHK『人間は何を食べてきたか』シリーズ(全8巻)のビデオを見て いた。2巻目のチーズの番組のところで、 きびしい砂漠に住むベドウィン達はらくだの糞を拾い集め、それを燃料に 使っている、という場面があった。 らくだの糞は カラカラに乾いていて、よく燃えるのだ。 「やけくそ」という言葉を その時思い出した。 動物達が生きていることは、すべからくいろいろなことに利用されている。 人間は? 人間は生きていて、この地球に役立っているだろうか? ★ 1巻目では 豚の1滴の血も生かして、ソーセージを作る地方が紹介され ていた。 ★ 人間がこの惑星に生かされているのなら、 生かされている・生きているその意味や意義を、その機会を、 生かさなくてはねぇ と思った。らくだは、糞でさえ、利用されてるんだものねぇ。 |
「野獣」2003/04/25記 何年か前、劇団四季のミュージカル「美女と野獣」を見た。 ディズニー・アニメの「美女と野獣」をそのまんま舞台化したもので 美しく 迫力があった。 ★ 京都でまた上演される、という。ポスターを見て、思い出した。 劇団四季の公演では、一つの役でも何人かの俳優さんが受け持っていて また、一人の俳優さんでもいくつもの役を受け持っている事もある、と聞い た。毎日その組み合わせが変わるらしい。 当日にならないと それが発表されないらしい。 (今は違うのかもしれないが、私が見に行った時はそうだった) ★ その日、見た舞台は、野獣は凄く良かった。 ★ しかし しかし 最後に王子様になった時 がくっとした。 王子様は野獣だった。 魔法が解けて、野獣から王子に戻ったら、野獣の扮装を解いて 人間の姿になったら、 「野獣」だった。 たまたまその日の野獣(王子)役の人は少しばかりむさい人だ った。「野獣のままでいてくれたら良かったのに。」 と、私は思った。 ★ ちなみに ヒロイン・ベル役の人も きらきらと輝く美しいドレスで踊る 場面よりもふだんの水色のスカートのドレスで 本が好き!な女性で いる方が生き生きしていて良いように思えたのだ。 着飾ったのが板についてなくて、とってつけたように思えた。 そのまんまでいいんじゃない? きれいなドレスがあまりにもビラビラしすぎてたから、もともとのベルの 性格とかけ離れてるように思えたんだな。 |